5月 第91回公演

「尺には尺を」終了

ウィリアム・シェイクスピア=作
小田島雄志=訳
高瀬久男=演出


 高瀬久雄さんを演出に迎えた3本目の作品は、ウィリアム・シェイクスピア=作「尺には尺を」でした。「真夏の夜の夢」で旗上げした青年劇場が、久々に取り組むシェイクスピア作品に劇団内外から期待が集まりました。若手からベテランまでの青年劇場のアンサンブル、そして積み重ねてきた高瀬さんとの共同作業の成果。お楽しみいただけましたでしょうか?いただいた感想文をご紹介いたします。


「青年劇場のシェイクスピア・・・いいじゃないですか」

 青年劇場は固定ファン泣かせの劇団になりつつある。ゆっくり座席に座り、笑い、涙を流し、ほのぼのして家路に付きたい常連客も多いだろうに、最近は気鋭の演出家と組んで、新たな可能性を模索している。「ナース・コール」は得意の人情喜劇かと思いきや、近未来の新型ウイルスに言及して亀有の観客をぞっとさせていたし、「谷間の女たち」はとても難しい話で亀有の観客たちを煙にまいていた。(よく亀有で観るのである) 次は何が出てきて、どう心の用意をしていいのかわからない劇団なのだ。


手前左より 葛西和雄 大月ひろ美 奥原義之 湯本弘美 (撮影:蔵原輝人)

 今度はシェイクスピアである。しかも日本ではあまり上演されない「尺には尺を」である。さあ、日常会話とは全く違うシェイクスピア特有の超装飾的な言葉の掛け合いに新宿の観客たちはどう反応するだろうと(これは新宿で観た)、かなり楽しみにして出かけた。もちろん脚本も読んでいった。(私、シェイクスピア好きです) そしてこれがよかったのだ。高瀬久男氏の切れのある演出。場面場面を効果的に結びつける象徴的な舞台装置。そしてなんと言っても役者陣のいつにない(?)かっこよさ。 公爵・ヴィンセンシオ(葛西和雄)は、一番まともな人物に見えて、実は矛盾だらけの言動。最後の最後にイザベラ(大月ひろ美)に「妻になってくれ」と言った時には、観客が大いに沸く。でも最後に残ったイザベラの複雑な胸中。堅物のアンジェロ(清原達之)が、イザベラを一目見ただけで、俗物へと変化してしまうこっけいさ。人間の多重性を描くことに大いに成功していたのだ。そして、この舞台は小田島雄志訳の脚本をほとんど変えていないし、演出も美術も音響も変に現代風にすることなく、極めてオーソドックスに創られている。それでも完全に現代劇として、つまり私たちが共感できる劇になっていることが、とてもうれしかった。青年劇場のシェイクスピア・・・いいじゃないですか。

 個人的なお願いとして、青年劇場にはシェイクスピア作品でも「ハムレット」や「夏の夜の夢」のような年に何本も上演されるような作品ではなく、今回の「尺には尺を」のようなマイナーな作品に果敢に挑戦していってもらいたいと思うのだが、興行的には難しいのかな。でも固定ファン泣かせをどんどん続けてくださいね。

(関東高等学校演劇協議会事務局・千葉県立柏北高校 阿部 順)


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