「ケプラーあこがれの星海航路」
篠原久美子=作 高瀬久男=演出

 2002年2月初演以来、演劇鑑賞教室や、子ども・おやこ劇場例会、文化庁「本物の舞台芸術体験事業」と、多くの方々にご覧頂いてきた「ケプラーあこがれの星海航路」は、昨年12月、沖縄県北谷町で迎えた154ステージ目でいったん幕を下ろしました。「ケプラー」を初演以来ずっと応援してくださり、最後のステージも沖縄で見てくださった藤木勇人さんに、想いを寄せて頂きました。



藤木勇人
うちな〜噺家・俳優。
2003年9月公演「キジムナー・キジムナー」に客演

 ケプラーに寄せて

 

 青年劇場の『ケプラーあこがれの星海航路』公演お疲れ様でした。私は確か3回この公演を見ました。舞台が始まるたびに、その早い台詞の回しに、俺はこの物語について行けるのか?と台詞を理解するのに必死の自分がいました。

 ところが、話が進むに連れ、ストーリー展開の面白さと演出効果、そして鍛錬された役者の演技が一つに噛み合ったこの見事な舞台は、私を毎回「宇宙のシンフォニー」を探求し続けるケプラーの純粋な夢の世界へと、まるで催眠術師のように誘ってくれるのでした。天才でありながらも常に抱えていた境遇と問題は人並み以上。しかし、それにめげることのない純粋さは、やはり天才であるが上のちょっとした天然の愛嬌だったのかも知れませんが、それが凄く庶民的で共感が持てたのです。


左より 真喜志康壮 清原達之 高安美子 (撮影:あがた・せいじ)

 それと、その宇宙への壮大なロマンが誰も想像もし得ないような、ぶっ飛んだものの考え方だったこと、地球にいながらにして、計算だけで月から地球を見るという発想の素晴らしさ、さらに見るたびに新しい発見があり特に時代背景については本当に当時のヨーロッパの様子がよく伝わってきました。昨今、大学受験のために必要のない、必修科目の履修漏れ事件がありましたが、世界史などを学校で勝手に省いて、どうやって子供たちの健全教育ができるというのでしょうか。本当に疑問に思います。確かに自分たちが学生の頃も、嫌々の履修だったような気がしますが、これが大人になってからどんなに役に立ち、感謝に値しているか。聞けば、最近の若者はスポーツ選手に憧れることはあっても、歴史に名を連ねた偉人には見向きもしなくなったとか…?

 今の時代にこそ生の演劇による若者への擬似体験が必要であり、今の時代にこそ、ケプラーのような偉人を扱った。憧れが抱ける大人の物語がどんどん必要なのだと私は思うのです。何時しかまた、新しいケプラーの舞台を観劇できる日を夢見ています。