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高校演劇には「戦争モノ」というジャンルが存在する。
反戦のメッセージ、平和への祈りを高らかに歌い上げる。このジャンルに属する作品は実に多いのだが、扱われる題材は原爆や空襲や特攻、つまり61年前の太平洋戦争に限られる。現代日本の高校生にとって平和を考えることは61年前の戦争について考えることと同義であるらしい。批判しているのではない。意義のあることだ。大事なことだ。祖父母の記憶は決して風化させてはならない。
しかし、である。
こうしている間にもレバノンでは1000人を超える市民が戦火の犠牲となり、アメリカは14万の兵をイラクに駐屯させたままである。戦争は決して振り返るだけのモノではない。
「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」
アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレーは1940年にそう書いた。高校生に限らず、現代の日本人は現代の戦争との接点を持たない。接点がないということは共通の基盤の上にないということである。自分の問題として考えることが出来ないということである。
ならば、と考えた。
戦場や戦火に巻き込まれた町ではなく、現代日本の高校生の生活場面を使い、現代の戦争を描くことはできないか。そうすれば接点のないところに接点を作ることができるはずである。
そして書き上げたのが「修学旅行」。04年の秋のこと。ブッシュの始めた戦争がイラクを泥沼の混沌に陥れていた。あのショックが創作の原動力となったことは白状しておきたい。
「修学旅行」の舞台は沖縄の旅館の一室であり、そこで繰り広げられるのは5人の女子高生によるケンカ。そのたわいもなさを笑って頂いて結構である。しかしドタバタの中に込められたメッセージを読み取り、「どこかで進行している戦争」に思いを馳せて頂ければ、作者としてそれにまさる喜びはない。