第十三回

「観劇会の歴史」


ラ・サール学園教諭  永山 修一

 昨年10月30日、鹿児島市民文化ホールにて『キュリー×キュリー』の観劇会を実施した。マリー・キュリーが、 自分の学問的悦びのために研究に没頭する様は、生徒たちに共感を呼んだようで、生徒たちの反応も良く、鑑賞後の生徒による評価も上々であった。
 勤務校は1950年に創設されたカトリック系の中・高併設校である。2011年に刊行された『60周年記念誌』から、観劇会関係の記事を拾って見てみると、 1977年東京演劇アンサンブルの「走れメロス」以来毎年実施しているようだ。

 1980年に着任した私が観劇会を担当するようになったのは、 1982年青年劇場※「青春の砦」であった。「青春の砦」は87年にも上演していただいた。 その物語の舞台は戦時中の清水高等商船学校であった。私の高校時代(宮崎県立宮崎南高校)の担任は戦時中に清水高等商船学校の生徒であり、 授業中に聞いた若い頃の話と、舞台上の物語がつながり不思議な感覚を覚えた。

 最初の5年間は、私が全く一人で作品選定から準備までを行っていた。 87年からは、会館と体育館をほぼ隔年で利用することになり、ここ10数年は、ほぼ毎回会館を利用している。 また88年からは、中学1年〜高校2年の各学年から1名ずつ出てもらい、いくつかの候補作品の中から投票で1〜3位を選んでいる。 その後、1位の劇団から、日程や会場を調整し、調整がつかなければ、2位の作品にまわることになる。 基本的に、作品選定は、新学年になる4月に作業を始める。 観劇会の日程は、6月から2月まで年によって違う。作品重視で、日程はその次である。 中学の入学生は高2まで5回観劇するわけであるから、作品についても、古典劇・現代劇・悲劇・喜劇・ミュージカルなど、 いろいろなタイプの作品に出会える機会をつくりたいと考えている。

 学校5日制の導入が話題になったころ、勤務校でも5日制にするか否かでかなり検討したが、 結局は今まで通り6日制を維持する事になった。それ以降、せっかく6日制で学校行事の絞り込みをする必要がないのだから、 むしろ芸術に触れる機会を増やそうということになり、演劇鑑賞とは別に音楽鑑賞も行うようになっている。

 観劇会そのものではないのだが、観劇会に関わってきたことで印象深かったことを1つだけあげておく。 今から10年近く前、外務省の若手外交官を高校に派遣するプログラムで、卒業生が講演に来たことがある。 そのとき、彼は、自分がなぜ外交官になったのかということをていねいに紹介した。 在校中に観劇会を通じて演劇に強く興味を持ち、大学に入って英語劇の劇団で活動し、 その中で外国語を使った自分の将来を考えていき、外交官を志望するようになったという内容であった。 改めて学校行事における芸術鑑賞会の存在意義を意識する機会となった。

 毎年1作品しか取り上げることができず、選に漏れた劇団にはいつも申し訳ない気がするのだけれども、これからも良質の演劇を提供し続けていただきたいと思う。

※執筆者の冒頭の肩書は、当時のままになっています。
現在の肩書が分かる方は、文章末尾に表記しています。




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