第三回

「感受性を守るために今〜私たちが創る高校演劇鑑賞会の未来〜」

徳島県立徳島商業高等学校教諭  井貝 充利

 教育にとって一番大切なものは何でしょうか?様々な考えがあると思いますが、私は感受性ではないかと思っています。 人を思いやる心、美しいものを観て美しいと感じる心、他者と感動を共有する心・・・。

 今最も大切で、そして今最も学校教育にかけているもの、それが感受性ではないでしょうか。そしてそれを最も高めることのできる授業は演劇鑑賞ではないだろうかと私は常々思っています。

 現在の日本の公立学校は危機的状況に陥っています。学力低下がゆとり教育の弊害だとの決めつけにより、学校現場の声を無視した一方的な教育改革が断行されていくからです。 週休2日の実施により平日の5日間は多忙を極め、逆に日常にはゆとりがなくなってしまいました。 総合学習自体の発想は素晴らしいものの、現場がついてこれず、さらなる格差を生んでしまっています。 あげくの果ては、授業時間の増加です。本来のゆとりの持つ意味は形骸化され、学力低下の責任を負わされ、今後物理的にも、内容的にも学校からはゆとりや温かみ、 優しさなどがどんどんなくなってゆくのは目に見えています。私たちはいったいどんな子どもを育てようというのでしょうか?どんな子どもに未来を託したいというのでしょうか? 社会でも家庭でも、そして学校でも感受性を大切にしない今の日本に真に幸せな未来はあるのでしょうか。

 最近、よくこの詩を思い出します。それは、詩人の茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩です(有名な詩なのでご存じではあると思いますが、載せさせていただきます)。

自分の感受性くらい   茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
     「おんなのことば童話屋」より

 最も感受性を大切にしなければいけない学校が今、この機能を放棄しようとしています。
 演劇鑑賞は感受性を守る最も大切な場であると思っています。
 学校の体育館が一瞬でステージに変わる日常から非日常への転換。
 スクリーンの中で有名な役者が演じるのではなく、等身大の普通の人が目の前で演じるという親しみ。
 そして、そこで起こる日常のドラマを観ての全員での空間の共有、衝撃の共有・・・・・。
 このわずか2時間の衝撃的な場が高校生の心を揺さぶり、感受性を育てるのです。
 この感受性は生徒だけでなくむしろ教師にとってこそ大切なものではないでしょうか。
 生徒の感受性を育つ場を創るのは教師なのですから。
 時代のせいにしてはいけない、教育制度のせいにしてはいけない。私たち大人がまず自らの感受性を磨き続けなくてはいけない。 これは子どもの問題ではなく我々教師、大人がどう生きるかの問題ではないでしょうか。

 私の心には今も茨木のり子さんの言葉が響き続けています。「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」と。 決して諦めてはいけません。こんな時代だからこそ、今私たち大人の行動が必要とされているのですから。

 ※幸いにも私の前任校では多くの先生方のご尽力により、4年前から校内で演劇鑑賞会を独自に行っています。 これもひとえに青年劇場をはじめ、低予算で献身的に来てくださって、高校生の心をうつ演劇を上演していただいている劇団のお陰だと感謝しております。 この輪を長野県や浜松のように徳島県全体に拡げることができたらどんなに素晴らしいものかと思っています。 先生方や劇団関係者の皆様、力を合わせてこれからも地道に活動を行っていきましょう。微力ながら私も協力させていただきます。私たちの手で未来を創っていきましょう。

(2007年11月)

※執筆者の冒頭の肩書は、当時のままになっています。
現在の肩書が分かる方は、文章末尾に表記しています。




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