4月第101回公演
「太陽と月」
ジェームス三木=作・演出

2006年初演の『族譜』以来となるジェームス三木さんの新作『太陽と月』。今回の舞台は、建国してからたった13年で消滅した「満州国」。その満州で生まれ育った三木さんに、作品に寄せる思いを、満州鉄道理事の娘役を演ずる中山万紀がインタビューしました。


中山 三木さんは、満州の奉天(現在の瀋陽)でお生まれなんですよね。特に印象に残っていることはありますか?

 満州には祖父の時代から行っていて、僕は小学校5年生までいました。やっぱり満鉄のアジア号はよく覚えていますね。毎日二回通るんだけど、アジア号が通ると、何をやっててもパッと手を止めてみんなで「アジア、アジア!」と叫んでいましたね。乗ったことはないんだけど。それはもうピッカピカでね、流線形、当時の最新型のデザインです。時速は130キロだから今にしてみればそんなに速くはないけどね。この間たまたま旧満州の大連に行って、アジア号があるというので見に行きました。そしたら汚い倉庫の中にあって、やっぱり感慨深かったですね…残骸って感じで。

中山 「アジア号」は満州の象徴ですよね。“勇ましさ”の象徴のようにも映りますね。

僕が小学校に入る頃には第二次世界大戦が始まっていて、日本は絶対に世界で一番強いって信じている軍国少年でした。早く戦争に行って特攻隊に行って、早く死んだ方がかっこいいって思っていました。そして日本という国に憧れを持っていましたね。先生が「富士山見たことある人」って聞いた時にクラスの半分くらいの子が手を挙げるのが、悔しいし羨ましくてね。

中山 今回「満州」を舞台にしようと思ったきっかけは、やはりご自分の出生地ということがあるのでしょうか。

当時は子どもだったから「満州国」ってよくわかっていなかったけど、ここ最近、「満州は、はたして国家だったのか?」って思うようになったんです。国家として登録しようとしたら世界に認められなかったわけで…。世界の歴史からみたら「なかった国」。そこに私はいたわけですね(笑)。世代的にも体験者がどんどん少なくなってきているし、たった13年しか存在しなかった国の事をきちんと考えたいなと思いました。

中山 「真珠の首飾り」(1998年初演)「悪魔のハレルヤ」(2004年)「族譜」(2006年初演)と、歴史を検証するドラマが続いていますよね。

 たまたまです。青年劇場の求めに応じて(笑)。でも他の劇団ではなかなかやれないですからね。物事を語る時、多くの日本人は日本側からしか見ていない。満州にしても、日本から新天地を求めて開拓農民がたくさん渡っていったわけだけど、実はそれが現地の農民を圧迫していたって話はほとんどされていない。土龍山事件(※)なんて、日本人にとっては「事件」だったんだろうけど、現地の人たちにしてみたら、土地の権利を取り上げられたり、自分たちだけ武装解除させられたりしているんだから反抗もしますよ。日本側は反抗者たちを「匪賊」「馬賊」って呼んで、僕らはとにかく「悪いやつら」って思わされてました。

中山 一方の側の感覚しか持っていないというのは、「族譜」で創氏改名を迫る役人の「朝鮮人は日本人になりたくないんですか?」というセリフを思い出します。

 そうですね。たとえば関東軍と満州国の関係、「満州国軍」も一応あったんだけど、実際は日本の「関東軍」が満州国を「守って」いた。「守ってる」という気持ちからどんどん強気に弾圧的になっていく。だけど別に守ってもらってるか?って。現代の日本とアメリカの関係でも、日本に米軍基地があること自体が、例えば北朝鮮にとってみたら脅威なわけですからね。

中山 そうですよね。当時と、現代の日本が重なります。

満州国政府は、それまでは吉田茂が総領事で、高級官吏として岸信介がそこにいて、そういう人たちが帰国して日本の政治を動かしていったんですよね。そのときに、関東軍をイメージしたのが米軍なんじゃないか、それが安保条約の基本的な考え方なんじゃないかな。米軍がいないとロシアから共産思想が入ってくるという危機感もあったんだろうけど。

中山 今回の作品は男女の恋愛を軸にストーリーが展開します。そのためか、今までの作品より柔らかい印象を受けました。

ドラマっていうのは、勝つか負けるかの「闘争系」と、愛が実るかどうかの「愛情系」、基本はこの二つしかないんです。今回は、勝ち負けだけを強調すれば殺伐とするし、モラルを強調すると堅苦しいドラマになるし、ってことで、ラブストーリーに「国家」という生存競争、闘争を絡めました。『太陽と月』というタイトルは、日本、正確にいうと天皇陛下が太陽で、満州国が月って言った人がいるんだけど、太陽から見た月と、月から見た太陽…そんなイメージで表しました。

中山 誰もが感情移入しやすい男女愛の部分に感情をのせながらも、「国家」というものを考える機会になりそうですね。

僕が言いたいのは、「歴史を相対的に見る」ということです。僕は少年時代には日本側からしか物事を見ていなかったわけで、現地の人たちがどんな思いでいたのか全然考えていなかった。現在の僕らは、圧倒的にアメリカ側の情報の中にいます。日本の政治家が言う「国際社会」っていうのはアメリカを中心とする社会。本当はイスラムも北朝鮮もみんな入ってるはずなんだけどね。反対側から見たらどうかって、常に考えないと。それと、当時の日本政府は「戦争」と言うとまずいから「支那事変」と言った。今だって軍隊を「自衛隊」と言ったりして、言葉でごまかす。最大のごまかしは「国」と「政府」をごっちゃにしていることです。国っていうのは人格も意志もないもので、戦争をおこすのは時の政府なんですね。国家とはなにか?って考えてもらえたらと思います。

中山 一見固いテーマでも無理なく考え合うことが出来るのはお芝居の大きな魅力ですよね。

宗教や政治、経済は対立するものだけど、唯一対立しないのは文化です。よその国の文化を受け入れるじゃない。日本はとくに島国のせいか何でも外国から受け入れている。漢字、儒教、仏教…、アメリカの文化になったら急にヨコ書きになるし、韓国ドラマは皆喜んでる。文化芸術には国境はないから、文化交流は世界平和の最短距離であるわけね。相対的にものを見ることができる。そういう意味では政治外交と文化芸術は、闘争系と愛情系とに分けることができると思うんだけど、今までの作品にはちょっと愛情系が足りなかったかなと思ったので(笑)、今回はぜひ期待してほしいですね。

中山 愛情系ですね(笑)。がんばります。今日はお忙しいところありがとうございました。

(文責・川田結子)
※土龍山事件=1934年3月、北満の土龍山地区で起こった、現地農民の武装蜂起事件。