「星をかすめる風」と尹東柱
この物語は、
韓国で国民的詩人として敬愛される尹東柱の福岡刑務所での最後の日々を描いたものだ。
1917年に北間島(中国延辺)で生を受け、27歳の若さで獄死するまでの短い生涯は、すべて民族の暗黒期にあった。
しかし、暗鬱な時代にあっても、必ず訪れる朝を信じ、母語朝鮮語で清明な抒情性あふれる詩を書き残した。
延禧専門学校(現・延世大学)卒業後、来日し立教大学と同志社大学で学び、同志社大学在学中、治安維持法違反の疑いで特高に逮捕された。
懲役2年の刑が確定し、福岡刑務所に収監されたが、1945年2月16日未明、民族が解放されるわずか半年前に獄死した。
「星をかすめる風」では福岡刑務所で働く若い看守が出会った二人の人物、鉄格子の中に閉じ込められていた平沼東柱(尹東柱)と、鉄格子の外で彼を見張っていた看守の杉山道造が描かれている。
無学な杉山は尹東柱のような文学に精通した人間を嫌ったが、やがて尹東柱の詩に惹かれ、証拠品として押収された尹東柱の詩稿を焼却処分から守りたいと考えるようになる。
一見、奇想天外にも見えるが、文化こそが真の自由への道だと信じる作者の強い信念が一貫して底を流れているのを感じる。
尹東柱の詩を読む時、清らかな抒情の質とともに、外なる権威やひとつの時代の価値観にとらわれない自由な輝きがあることに気づく。
実存思想を有していた尹東柱は、詩の言葉は時を超えて人々の心に届き、社会に立ち向かう力を持つことを信じていた。
そこに作者は深く共感し、鎮魂と平和への祈りを籠めて人間の心の深淵に迫るこの物語を誕生させたのだろう。
尹東柱が福岡刑務所に収監されていた時期の記録は全く残っていない。真相は闇の中といえる。
作品はあくまでフィクションであるが、無実の若者が獄死させられたという歴史の真実に思いを馳せて頂けたらと願う。
楊原泰子(詩人尹東柱を記念する立教の会)
シライケイタ
劇団温泉ドラゴン代表。
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻在学中、蜷川幸雄演出「ロミオとジュリエット」のパリス役で俳優デビュー。2010年温泉ドラゴン旗揚げ公演に処女作「escape」を提供、その後座付作家・演出家として活躍。
2013年文化庁・日本演出者協会主催による「若手演出家コンクール2013」優秀賞及び観客賞、2017年第25回読売演劇大賞において杉村春子賞を受賞。
現在、日本演出者協会常務理事、日韓演劇交流センター理事、桐朋学園芸術短期大学非常勤講師、桜美林大学芸術文化学群非常勤講師。