新春てい談

高橋正圀さん(劇作家)×福山明夫(劇団代表)×福山啓子(演出)
聞き手:編集部


―明けましておめでとうございます。青年劇場は2014年2月に創立50周年を迎えます。今年から向こう3年間の定例公演を、「創立50周年記念公演」と銘打ち、その第一弾は4月、高橋正圀さんの新作『田畑家の行方』です。この作品は、青年劇場公演『遺産らぷそでぃ』などの原作者で、佐賀県・唐津で農業を営む山下惣一さんと、岐阜県・飛騨に住む自然卵養鶏法の元祖、中島正さんの往復書簡集「市民皆農」(創森社刊)に想を得て舞台化するものです。今日は、高橋正圀さんと、初めて高橋作品を演出する福山啓子、劇団代表の福島明夫に、大いに語りあっていただこうと思います。まず、今年の抱負をそれぞれ聞かせていただけますか。

今年の抱負

福山 年明けに、劇団創立メンバーの小竹(伊津子)さんの家へ劇団の若手と一緒にお邪魔して、土方与志先生の思い出や、創立の頃の話を聞きました。土方先生は、貴族的な面立ちとは裏腹に、とても庶民的な人柄で赤ちょうちんで飲むのが大好きだったとか、役者の創造力をかきたてるイメージの提示の仕方がうまかったとか、貴重なお話を伺いました。50周年を前に、私たちが次を担っていくためにも、もっとお話を聞いたり、学んだりしていかなければと思っています。劇団員は、今一番若いのが20歳、それから80代の創立メンバーまで、幅広い年齢層で構成されていますから、それを生かした活動をしていきたいです。
 世の中どこを見ても重くて暗い話が多いこの頃ですから、4月公演は観た方が元気になるような、次に希望が持てる芝居にしたいですね。

高橋 今年は締め切りを守る年にしたいですね(笑)。青年劇場とやった一番最初の作品が1990年の『遺産らぷそでぃ』。今回も同じ山下惣一さんの本を舞台化するでしょ。その間、23年という時間が、具体的に見えてきた気がしています。山下さんをモデルにした農家の親父さんの成長の軌跡というかね。一生同じ仕事についているというのはこんなにシンプルな生き方に昇華するんだ、というか。僕も脚本家以外の仕事をやったことがないから、そんなことを実感できる年になればいいなと…。難しいことを難しく言うのではなく、単純化してシンプルにしていきたい。


「遺産らぷそでぃ」(1990年初演)撮影:岩下守

福山 今回のお芝居は、都会へ出て電機産業に就職した息子が、父親が急死して帰ってくるところから始まりますね。しかも会社は傾き、リストラの嵐が吹き荒れている。主人公は息子だけど、物語が進むにつれて農民である父親の姿が浮かび上がってきます。

福島 日本の現代史でいうと、戦後社会を作ってきたのは戦争で生き残った青年達ですよね。彼らが20代から70歳位まで、ずっと日本の社会を引っ張ってきた。一方で高度経済成長に反対してきた人もいる。山下惣一さんも、劇中の「みのむし仙人」のモデルでもある中島正さんもそうですよね。僕らの世代は彼ら親世代をずっと下から見上げてきたけれど、彼らの生涯から何を得て、何を大事にするのかをもう一度振り返る必要があるんじゃないかと思います。3.11から二年がたつ今年は、冷静に「3.11によって今までの価値観の何が揺さぶられたのか」を考えられる年だという感じがします。


高橋正圀(たかはしまさくに)
山形県米沢市出身。山田洋次氏に師事。映画・テレビの脚本を多数手がける。 青年劇場では、農業問題を描いた「遺産らぷそでぃ」「菜の花らぷそでぃ」「結の風らぷそでぃ」をはじめ、今回が11作目となる。

「表現」すること

―劇団は経済成長とは常に違う所にいたように思いますが、演劇を一生の仕事にしてきた福島さんから見て、今の時代は自分たちに近づいてきたという実感はありますか?

福島 この前、土井敏邦さんというジャーナリストで映画監督の方に、「芝居に参加する若者は増えていますか?」と聞かれて、「劇団に入ってくる人はそれ程多くないけれど、表現活動をしたがる人は増えています」と答えました。実際、真面目に関わっている若い演劇人は結構多いんです。職のない若者が多い中で、芝居という職をもっている、表現することができるというのはいいことだと思います。その可能性をもっといろんな形で追及できると面白い。たとえば選挙で投票する時も、みんながもっと考えて投票した方がいいと思うけど、物事を「考える」上で「表現すること」が実は重要な手立てになると思うんです。

―正圀さんが劇作家を目指したのは、やはり自分を表現したかったからですか?

高橋 自分を表現するというより、人を笑わせたい、楽しませたいのね。それが幸せだと思うからやってるんじゃないかな。脚本というのは未完成品で、芝居になって初めて完成品になるんだと思う。その間にいろんな人の表現が集まるわけで、それが面白いんじゃないかな。

―一貫して喜劇を選んできたわけですね。

高橋 喜劇というよりユーモア劇かな。師匠の山田洋次監督に「高橋君、日本の笑いはね、涙とセットでないと受け入れられないよ」と言われたことは非常に印象的だったですね。チャップリンは受けてもバスター・キートンはあまり受けない。あれは涙無しだったから。

福島 西洋人の葛藤の質と、日本人のそれとはちょっと違うでしょ。日本人は直接的にあまり言わないですよね。これを戯曲にするのは難しくて、それがうまいと思うのは、松竹映画の小津安二郎さん。対立をセリフで表現されていないですよね。正圀さんも松竹映画の系列に入ると思いますけど、そこが新劇の世界では珍しかったと思います。前に正圀さんは「陰に回す」って言いましたよね。舞台上でぶつかりあわないで、陰であったことを表で説明するという。『遺産らぷそでぃ』では主人公と叔父が直接対決するシーンがあるけど、それはそんなに長くなくて、準備や思考の段階で対立を見せる。そういう表現が日本人的なのかなと思いますね。


福島明夫(ふくしまあきお)
東京都出身。1977年入団。「翼をください」「真珠の首飾り」「菜の花らぷそでぃ」「臨界幻想2011」など、多数の公演製作を手掛ける。1988年より製作部長、1997年より代表。

高橋 そうね、対立ばっかりだと見ててきついよね。

福島 それが正圀さんの特徴というか優れたところだと思うんだけど、それを人情喜劇とだけくくっちゃうとつまらない。

高橋 おれは人情喜劇だと思ってたの。それを「地域社会を描いてる」なんて言われると高級になったような気がしてね(笑)。

福島 実は哲学があるんですよ、正圀さんの作品の中には。

23年間の変化

―正圀さんは23年もの間、劇団とお付き合いして下さって劇団の変化をどう感じていらっしゃいますか?

高橋 いい意味でも悪い意味でもスマートになったよね。最初の頃、稽古が終わって第一世代の人たちと飲み屋に行ったら焼酎の一升瓶がドンと出てきた。知らない人が一人いて、それは森三平太さんで、出演してないけどその中に入ってるの。で、お酒ついでくれたり、肴を取ってくれたり。

福山 作家に対するアピールなんですかね(笑)。

高橋 その時みんなでわいわいやったんだけど、唾が飛んで来るんだよ(笑)。かなりワイルドな劇団だと思った。今はそんなことないもんね。

―正圀さんはその時40代ですよね。第一世代も40代50代、みんな元気のいい時ですね。

福山 森さんは役をなんとかして自分に引き寄せようとする役者根性がすごかったですね。

福島 第一世代はそれが強かったからか、その次の世代以降は草食系になってきた感じはします(笑)。

高橋 あの時はみんな肉食。でも役者は肉食系の部分も持っていて欲しいですね。それがないと芝居が面白くない。

福島 『遺産らぷそでぃ』の頃は、「食」はまだ大きな問題になっていなかったから、農業の芝居を東京でやって、どう観客を連れてくるの?ってずいぶん議論になったんだよね。

高橋 有機農産物もまだあまり話題になっていない。

福島 ようやく海外農産物が危険であるということがわかってきて、農産物自由化の問題が出て、それが1990年代。日本社会全体もそれまで都市化志向ばかりで、農村のことなんか見てなかったんじゃないの。


福山啓子(ふくやまけいこ)
東京都出身。青年劇場付属養成所卒業。文芸演出部所属。 「博士の愛した数式」「野球部員、舞台に立つ!」の脚本・演出を担当。 高橋作品の演出は初。

福山 みんな農家の出のはずなのにね。

「農」をテーマに

―長年「農」をテーマに書かれてきて、ご自身で発見されたことはありますか?

高橋 「農業」をやろうと思って書き始めたのだけど、農の中に、「食」がその一部になっていることに気付いた。畑を耕さなくても、「食」は全ての人に関係することだもんね。初めはそんなこと考えてなかったんだけど、『菜の花らぷそでぃ』あたりかな、「食」によって、一般的な広がりや共通の話題がもてるようになったと思いますね。

福島 「農政」もころころ変わりましたよね。僕たちもずいぶん勉強しましたけど、正圀さんも『菜の花らぷそでぃ』の再演の度に台本を書き変えて下さったりして。

高橋 結局、“減反政策”がすべての諸悪の根源。あれは最悪ですね。そこから農政が狂ってきたと思う。今のTPPにも通じるんだけれども。そういう社会現象やら、政治の動きに神経質になってきたところもあるかもしれないけど、実際は書きながら発見していくんだよね、…まあ、それが楽しいですね。

―これだけ「農」にこだわっている作家もいないと思うのですが、農業をやりたいと思ったことはないですか?

高橋 まったくないです。まず身体ができてないし…。それに元来、あんまり動きたくない性格なのね(笑)。

山下惣一さんとの出会い

―山下惣一さんとの出会いはドラマのお仕事ですか?

高橋 そう。NHKの「人間模様」っていうドラマ枠で「ひこばえの歌」をやったのが最初でした。原作を読んでショックを受けましたよ。農業って種蒔いて水かけりゃ物が出来るんだと思ってたらそうじゃないって。確か中野の旅館で缶詰めになってる時に読んだんだけど、ガタガタ震えが来て、あんなに感動したのは初めてだったね。

―初めて山下さんにお会いした時の印象は…?

高橋 昔から歯に衣着せない言い方をする人だったね。「ひこばえの歌」の舞台が東北だったらおれは書けなかったな。バンバン悪口を言うっていうのが東北には無いからね。山下さんが九州の農民だったから書けたんだね。会えばわかるけどユーモアの感覚が非常にあるんだよね、あの人は。

新作『田畑家の行方』

―正圀さんが今回の作品にかける思いを。

高橋 若者の生き方が変わってきてるよね。社会が不安定だからこそ、大地の上にしっかりした暮らしを築きたいと思う若者たちがいる。観客により強く実感してもらえるような書き方をしたいと思ってます。農業をやれるというのは今とても幸せじゃないか。東京に住んでなかなか農業はできなくても、植木を育てるだけでも楽しい。でも、みんなやっぱりまだ経済成長にとらわれてる。中島さんの言う「経済成長と自然保護は両立しない」って面白い言い方だよね。「地球にやさしい」なんて言い方をしてるけど、そんなのいかさまだって。「市民皆農」の本そのものは哲学だし、間違ったことが書いてないからドラマにするのは難しい。でも観客がこの本を読んだ気になるくらいの結論をこの芝居で見せたいなって気はしてますね。

―最後に福山さん、高橋作品初演出の意気込みを。

福山 まさか私が尊敬する大先輩の作品を演出するなんて思いもしなかったので、足がガクガクする感じですが、横綱の胸を借りる小結のつもりで、しゃにむにぶつかっていくしかないと思っています。お客さんが楽しんでくれる舞台を作るために。

高橋 横綱っておれか。

福山 そうですよ。

高橋 昨日負けたな白鵬。(笑)

―今日はありがとうございました。

(2013年1月16日 劇団応接室にて)