今こそ「キュリー×キュリー」を!

次世代化学教育研究会事務局長/東京都立戸山高等学校主任教諭
田中義靖

 2009年に初演、昨年から全国を巡演中の「キュリー×キュリー」。科学を愛し人類を信じて真理と希望を追い求めるマリーとピエール、二人の「キュリー」の生き方を、エネルギッシュに描いた舞台に共感の声が届けられています。
 今回「出会いのフォーラム2011」に参加、東京再演を行います。それにあたり、高等学校の化学の教師たちで研究会を行っている田中先生に、この時期、この作品への思いを寄せて頂きました。



左より 江原朱美 菅原修子 清原達之
撮影:蔵原輝人

 「放射能」という言葉は、幾度となく、私たちの頭上に降り注いできた。だが、今日のように「放射能」という言葉が私たちに重くのしかかってきたのは原爆投下以来ではないだろうか。

 「放射能」という言葉は、ウランなどが持つ「放射線を発する性質」の呼称としてマリー・キュリーが提案したものである。

 マリーは、「放射能」を測定することで新しい元素を発見できると考え、実際にラジウムなどを発見し、鉱物から取り出している。これは、化学者として優れた功績である。

 次女のエーブ・キュリーが書いたマリーの伝記は、「その人は、女だった。他国に支配を受ける国に生まれた。貧しかった。美しかった。」から始まる。これはマリーの苦難に満ちた研究者人生の背景を簡潔にあらわした名文である。『キュリー×キュリー』を観ると大きくうなずける部分が多い。

 確かにマリーは貧しかった。研究者としての地位を確立してからも貧しかった。それはひとつに「放射能」を持つ物質を取り出す方法の特許を取らなかったことにある。マリーは「科学の精神に反する。」として特許を取らなかった。

 また、当時すでに夫のピエール・キュリーらが「放射線」の危険性を示唆していたが、マリーは研究所で「放射能」を持つ物質の平和的な利用について研究している。

 福島原発の事故に直面した私たちは、原子力と今後どのように付き合っていくべきか考え直すことになるだろう。そのとき、冷静に「放射能」と向き合えるだろうか。マリーの姿勢に学ぶものは多いと思う。

 マリーがフランスでの女性初の物理学博士になった祝賀パーティーの夜、庭でピエールがラジウムの化合物が入ったガラス管を取り出した。ガラス管は光に満ちていた。そこにキュリー夫妻は希望をみたが、私たちには何がみえるのだろうか。


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