友の会


 3月11日に起こった東日本大震災で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
 劇団は「青ひげ先生の聴診器」の公演中で、やむを得ず4ステージを中止いたしました。急きょ別作品への振り替えに応じて下さった多くの皆様に、心から感謝いたします。また、励ましのお言葉もたくさん頂きました、本当にありがとうございました。

 さて、今回は、この震災で、避難生活を強いられている会員の中里さんからのお便りをお届けします。


会員の声

先の見えない毎日に       中里 成子

 「青ひげ先生の聴診器」を観るために地震の日の前日に上京していました。
 私の町、南相馬市小高区の私立病院は風前の灯火状態でした。高橋正圀さんの作品でもあり、とても楽しみにしていたのです。

 そして、三月十一日大震災が起き、津波が来た。翌十二日には、原発が爆発した。

 わが家は東京電力福島第一原子力発電所から約十五キロ。
 十キロ圏内にある実家から兄夫婦他がわが家に非難してきた。その後避難指示が二十キロに拡大されたため、そこにいた夫も共に避難する羽目に。
 ガソリン不足の中、三台の車で大人十人、中学生一人が着の身着のままで、犬二匹と一緒に埼玉に残していた狭いマンションにたどり着きました。

 雑魚寝生活が二週間ほど続きましたが、それぞれ落ち着く先を見つけ、移動していきました。大勢で居るときは物資が手に入りにくく、てんやわんやでした。

 福島には用事を済ませてすぐに帰ろうと思っていたので、展覧会用の絵は描きかけで、イーゼルに掛かったままだし、ジャガイモの植え付けをするつもりでした。
 しかし今は「立入禁止」。信じられない。
 原発は絶対安全だと言っていたのに、あれ以来放射能は出っぱなしで収束の見通しも立たないでいる。

 帰宅できるのは何年先なのでしょうか。はたして元の生活はできるのでしょうか。先の見えない毎日に何も手につかず、落ち込んでしまいました。
 そんなときに後藤陽吉さんからお電話をいただいて嬉しく思いました。
 かつて浪江で公演した、ふじたあさやさんの「臨界幻想」のお話が出ました。まったくあの通りになってしまいました。幻想でなく真実に。

 五月十三日、大地震復興支援ということで、劇団から被災者としてご招待を頂きました。「族譜」。日本の植民地支配下の朝鮮で起きた、創氏改名、朝鮮人の姓名を日本風に改め、天皇の軍隊の兵士として徴兵し、前線に送られるのです。民族の歴史も、誇りも幸せも強引に奪ってしまったのです。なんだか私たち原発避難民も同じ様な気持ちです。
 久しぶりの外出でした。芝居がはねて外に出ると、街は何事もなかったように穏やかでまぶしく思いました。




つどい

新春のつどい
―会員さんが語る医療への思い―
2月19日(土)14:00より 満月廬にて
76名の参加で行われました。

今年の新春のつどいは、3月公演が病院が舞台の作品という事から、医療のお仕事に携わる会員さんに、「医療の今」を話して頂きました。開業医の方、看護師の方、病院の事務長さん、医師の確保に力を尽くしている方から現場のきびしい実態を伺いました。出演者は全員参加していたこともあり、その後の交流も盛り上がりました。

今回は、稽古場を飛び出し、中華料理を楽しみ、大いに交流を深めたひとときになりました。


3月公演「青ひげ先生の聴診器」観劇後の交流会
3月6日(日)ヒルの部終了後 海鮮居酒屋『はなの舞』にて51名参加

 5つのテーブルに出演者が一人ずつ入り、各テーブルで懇談が進められました。出演者からのあいさつ、参加者からの質問や感想が語られるなか、劇中の水戸黄門劇団のモデルの本を書かれた、峰岸宏さんも参加され、大いに盛り上がりました。

 観劇後の交流会も定着し、始まって以来の51名の参加で、大いに飲み、大いに語り賑やかな交流会でした。