「呉将軍の足の爪」


瓜生さんの眼差し(坂手洋二)  朴祚烈と瓜生正美  演出・瓜生正美に聞く!  製作者から

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朴祚烈と瓜生正美。
日韓演劇交流の中で二人の「戦争」への思いが
今、ここに結実する!
韓国現代劇の本格上演!



左:朴祚烈氏 右:瓜生正美

朴祚烈(パクジョヨル)

1930年、咸鏡南道に生まれる。咸興高級中学校卒業後、中学校の文学教員を務めていたが、1950年に朝鮮戦争が勃発。以降12年の長きにわたって韓国陸軍に服務するという経歴を持つ。

退役後、ドラマセンター演劇アカデミー研究課程(現ソウル芸術大学)に入学し、処女作『観光地帯』を発表。その後、『ウサギと猟師』で東亜演劇戯曲賞を受賞。翌年には、劇団「自由」を旗揚げし、「韓国劇作ワークショップ」を開設するなど、旺盛な演劇活動を続けていた。

1974年、代表作『呉将軍の足の爪』を発表するが、「公演倫理委員会」の事前検閲によって、上演禁止処分を受けることとなる。 その後、ドラマドキュメンタリー『大地の息子』で大韓民国放送大賞を受賞したのち、創作活動を中断、事前検閲制度廃止のための運動を主導した。

1988年、上演解禁となった『呉将軍の足の爪』で韓国演劇の代表的な賞である百想芸術大賞、演出賞、戯曲賞を受賞。以降、この作品はさまざまな演劇祭で上演され、英語・独語・仏語などにも翻訳された。今では韓国現代戯曲の教科書的存在となっている。

現在、大韓民国芸術院会員。

瓜生正美(うりゅうまさみ)

1924年、若松市(現・北九州市若松区)に生まれる。17歳となった1941年、太平洋戦争がはじまり、1944年、学徒出陣で兵役に就く。

戦後、復員し、火野葦平らとともに、劇団「かもめ座」を創立。これが演劇を志すきかっけとなった。その後、新劇の草分け的存在である土方与志に師事し、個人的演出助手となる。

1951年に、「東京喜劇座」を創立。劇団は五年後に解散するが、このときの創立メンバーである森三平太・西沢由郎らとともに、1964年、「秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場」を創立することとなる。

以来1997年まで劇団の代表を務めながら、『偽原始人(原作:井上ひさし)』『シシとササの伝説』等、青少年の問題と深く向き合った作品群を生みだしていく。代表作『青春の砦』は、青少年向け戯曲の名作として今も語り継がれる作品である。

1987年に舞台芸術家組合賞を受賞。(社)日本劇団協議会会長、日本演出者協会理事長などを歴任し、一昨年より流山児祥氏が旗揚げした「パラダイス一座」にも俳優として参加するなど、精力的な活動を、80歳を超えた今も続けている。今回の『呉将軍の足の爪』は、実に10年ぶりの演出となる。

著書に『瓜生正美青少年演劇脚本集 青春の砦』『瓜生正美脚本集』(ともに晩成書房刊)。